電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第398回

コロナと猛暑の夏に「永井荷風」にハマっている


~文壇の外にいて新聞記者嫌い、ストリップ大好きの小説家の人生~

2020/9/4

 40年にも及ぶ記者生活を続けていると、無性にやりたいことがある。それは何であろうか。部下に問うたところ、「どうせ泉谷さんのことですから、パチンコで負け続けて、やけ酒をくらい、大井競馬場でまた負けて、女性の裸を観に浅草ロック座へ行く」なんてことじゃないですか、と言われてしまった。

 ああ、いつだって自分はそういう人だと思われているのね、と考えた時に、少しく心が折れる瞬間があった。これからは、人格形成に注力し、汚い言葉を一切使わず、上品な文章を書き、多少は敬愛を集める「もの書き」にならなければならない、と思い定めたのだが、なかなかそうはいかない。

 さてところで、新型コロナウイルスで世界すべてがメチャメチャになったこの夏、そして梅雨明けからの超猛暑でクタクタに疲れてしまったこの夏、筆者は実のところ一番やりたいことをやっていた。どこへも出かけられず、ひたすら家にいるしかない、という生活が続けば、一番大好きなことができる。それは、冷房をギンギンに冷やして18℃以下にして、寝転がって、ひたすら岩波文庫を読むことである。

永井荷風の魅力は小説よりも随筆だという人は多い
永井荷風の魅力は小説よりも
随筆だという人は多い
 最近では、「永井荷風」にハマっている。荷風という小説家は、明治、大正、昭和の3時代を生き抜いた人であり、太平洋戦争の真っただ中から戦後にかけては太宰治と並ぶ人気作家であったことを、ほとんどの人が知らない。そしてかの文豪、谷崎潤一郎が「永井先生大好きです。本当に尊敬しています」と絶賛していたこともあまり知られていない。日本の文学の古典と言えば、常に挙げられるのが、漱石、鴎外であるが、もう一人の巨人である永井荷風のことをもっと知ってほしいと筆者は切に思っている。

 永井荷風は、米国やフランスに滞在して後に、『あめりか物語』『ふらんす物語』の2作を発表し、若くして大成功を収める。その後は一転して江戸文化にのめり込んだ作品を多く書いて、これまた大人気を得る。とりわけ花柳界の芸者さんたちの物語や、春をひさぐ娼婦たちの話は、そのあまりのリアリティーに多くの人たちをうならせたのだ。代表作としては『墨東綺譚』『腕くらべ』『つゆのあとさき』などがある。

 永井荷風は、新聞記者嫌いだったことで知られる。そしてまた、文壇との付き合いも一切なく、孤高の人であった。奇行でも知られており、後半生はひたすら浅草のストリップ小屋に通い、若い踊り子さんたちとじゃれ合っていた。

 しかしながら、反権力、反体制の人であり、戦時中に早くも「この戦争は負ける。欧米に勝てるわけがない」と喝破している。官僚には徹底して批判的であった。そしてまた、作品のオリジナリティーは、先人の行く道を追うだけではなくて、自分だけの方法論を見つけるべきだ、とひたすら言っている。

 驚くべきことに、太平洋戦争中に多くの作品を書き溜めていた。そして戦後になってすぐは、一気にそれを発表し、もう一度永井荷風ブームが来るのだ。60歳を過ぎてからの一大ブームであった。戦後すぐには食べることにいっぱいで、多くの作家たちの活動は止まった。ところが、永井荷風はもはや老人でありながら、次々と作品を発表し、多くの人たちを驚かせたのだ。

 永井荷風が作品を作るうえでの得意技は、ひたすら散歩することであった。それも、日和下駄を履いて、長い傘を常に持ち歩き、晴天や雨天にかかわらず、意味もなく歩き続けることを大切にした。彼の見た風景は、いわゆる旧所名跡ではなく、裏やぶれた下町の路地が多かった。

 山の手に暮らす人たちではなく、社会の低層と言われる人たちにスポットライトを当てて、水平な視線でものを書き続けた。書斎にこもって、作品を作り上げたのではない。闇雲に街を歩き続けて、独自の境地となる手法を作り上げていった。

 世紀の発明と言われる電話を開発したグラハム・ベルはこう言っている、「時には踏みならされた道から離れ、森の中に入りたまえ」。つまりは、決まりきったやり方でいけば、画期的な発見などはない、ということなのだ。ここにおいて、永井荷風とグラハム・ベルは見事にクロスオーバーしてくるのである。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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