電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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競争力低下を招いた「戦後日本の思潮」


~日本半導体凋落の本質~

2015/3/13

■衰亡に向かう

 国籍別半導体シェアの推移をグラフに示す。1988年に50%を超えていた日本のシェアは、2014年には11%となった。日本は過去26年間、シェアを低下させ続けてきたが、01年以降は絶対額でも前年割れしている。

 このグラフは、国内で数万人が半導体の仕事から追われたことを示しているだけでなく、システムの頭脳とも言うべきシステムLSI、マイコンを海外に依存することで日本の製造業に打撃を与えていると同時に、防衛・安全システムを自前で供給できないことによって、国の独立さえ危うくなっていることを示す。

 90年代、日本の半導体産業の競争力低下は誰の目にも明らかになったが、その要因は、マーケティングの軽視、技術戦略の誤り、ビジネスモデルの不適合、経営判断の遅れ、技術開発力の低下などが指摘されてきた。

 そうした議論に押されるように、多くのプロジェクトが取り組まれ、莫大な資金が投入されたが、結果は惨憺たるものであった。過去十数年にわたり、多くの評者が様々な議論を展開してきたものの、何の効果もなかったことになる。

 ここでは、こうしたことに至った根本原因について考えてみたい。

■黎明期から成長期

 日本の半導体事業は、電機会社の一部門として出発した。セットの差異化のために半導体を内製化することが必須だと考えられたからだ。だが、半導体工場を持った途端、減価償却費、人件費、開発費などの固定費負担が大きく、半導体部門は慢性的に赤字に陥った。それでも日本企業は半導体を戦略部門と位置づけ、投資を続けた。国も公的プロジェクトを通じて半導体に資金を投入し、自立するまで支えた。

 電機会社では一般にセット事業が主流であり、部品を供給する半導体事業は傍流に位置づけられてきた。こうしたなかで半導体を一人前の事業部門と認めさせるためには、競争に勝ち、売り上げ・収益を上げることが必須であった。

 こうした黎明期・成長期には、起業家精神に富み、創造性に溢れた人達が事業を動かしていくことになる。このころは、装置から材料、回路からCADまでデバイスメーカーの技術者が中心となって開発をしていた。

 70年代にDRAMが登場し、コンピューターに搭載されるようになった。DRAMは標準化された汎用品であり、工場の稼働率を維持するには格好の製品であった。日本の半導体メーカーは製造(歩留まり、コスト)を武器にDRAM市場を独占した。こうして半導体事業は収益事業となった。その結果、収益部門である設計部門、製造部門の発言力が増し、管理指向が強まった。

 こうした過渡期には、社内政治に長けた者が創造性に溢れた人を排除し、事業経営の中心を占めるようになる。挑戦することに価値を見出す者にとって、社内政治に興味が持てないのは当たり前のことだが、彼らが退場することによってイノベーションは止まり、事業は停滞に陥る。

 日本の半導体の強みは、プロセス技術に支えられた製造と、DRAMを中心としたメモリーにあった。逆に弱みとして、半導体部門は自社のセット部門の要求を優先しなければならないこと、設計は自社のファブを使わざるを得ないこと、製造は自社の設計を優先しなければならないことで、セット―設計―開発―製造のどこか1つでも弱いと、すべてを失ってしまうところにある。

■韓国・台湾への対応

 90年代、韓国・台湾がDRAMと製造において日本に挑戦してきた。

 サムスンは、日本からDRAM技術を持って行った。日本の経営者は、それに危機感を抱くどころか、頼まれれば協力するのが当たり前、という有様だった。

 TSMCはファンドリーとして多くの顧客を獲得し、規模拡大に邁進した。半導体製造が規模の経済であるのは常識だが、TSMCは毎年ファブを新設することによって、常に最先端の製造能力を顧客に提供することで、他社を圧倒的にリードした。電機会社の一部門に過ぎない日本の半導体メーカーには真似のできないことだった。

 2000年以降、日本の半導体の退潮を食い止めるべく多くのコンソーシアムが組まれたが、成果はなかった。コンソーシアムでは、研究開発に人と金を注ぎ込むだけで、半導体産業の構造的問題は手付かずで放置された。その研究開発にしても、本当に必要な技術は自前で開発するため、競争力の強化にはつながらなかった。

 日本のコンソーシアムでは、結果よりも参加企業の平等が優先された。このため、弱い企業は退場せず、強い企業は強くなれず、海外企業との差は開く一方であった。

 日本の半導体産業の構造的問題とは、ビジネスモデル、横並び、拠点の分散など事業環境の変化に対応できない問題を指すが、そこにメスを入れることは、退場させられる会社や人が出てくることを意味する。最適化のためには、そうした犠牲は避けられない。

 しかし、現実には、一切の犠牲も認めないことによって、全体が犠牲となっている。

国籍別半導体シェア推移(出典:IHS Technology)
国籍別半導体シェア推移(出典:IHS Technology)   

 
■凋落の根本要因

 ここまで見てきて気が付くことは、「頼まれれば協力するのが当たり前」「結果よりも平等が優先」「全体最適よりも部分最適」という、日本の半導体産業のなかでは、戦後日本の思潮による判断がなされてきたことだ。日本の半導体産業の凋落の根本要因は、戦後日本の思潮なのだ。こうした誤った考えを転換させなければ、どんな処方箋を書いても良くはならない。

 経営者は、自分のことより会社のこと、会社のことより社会のことを優先し、イノベーティブな人間を引き上げ、私心を捨て行動しなければならない。そうすれば、やるべきことは自ずと決まってくる。



IHS Technology シニア・アドバイザー 池島寛、
お問い合わせは(E-Mail : forum@ihs.com)まで。
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