商業施設新聞
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No.642

鈴蘭台駅の今と昔


今村 香里

2018/2/6

 電車の乗り換えついでに、神戸電鉄の「鈴蘭台駅」(神戸市北区鈴蘭台北町)で降りた。駅前で進む再開発事業の様子を見に来たのだ。改札を出ると、工事が着々と進み、再開発ビルの全景が姿を現していたのに少々驚いた。久しぶりに鈴蘭台駅に降り立ったが、駅周辺はその景色を変え、今と昔で様変わりしている。

 建築看板のない通路を覗くと、工事囲いのパネルに鈴蘭台駅周辺のまちの歴史が紹介されていた。よく建築現場で目にする光景だが、私はこれを見るのが好きだ。「ここは空き地だったのか」「ここには商店があったのか」など、今に照らし合わせて昔の風景と先人達の暮らしに思いを巡らすのだ。

建設が進む再開発ビル
建設が進む再開発ビル
 鈴蘭台の歴史は、神戸電鉄が神戸有馬電気鉄道と呼ばれていた1928年にさかのぼる。鈴蘭台駅の紹介の一節によると、当時は今と全く異なる名称の「小部(おうぶ)駅」だったそうだ。その後、現在の名称となり、終点の有馬温泉駅の賑わいや、新路線の開業および複線化に伴い、駅周辺も発展していった。

 戦前はダンスホールやビアホールを擁する避暑地として栄えたそうで、高級住宅もあったことから“関西の軽井沢”と謳われていたようだ。確かに周辺は建物が密集しており、駅から少し離れると大きな戸建て住宅が目立ち、住むには良い街だと以前から思っていた。現在のような大規模な団地開発は昭和30年代から行われ、特に神戸高速鉄道や阪急・阪神の各鉄道との接続が開始されてからは人口が増え、ベッドタウンとして現在も発展しているという。

駅周辺のまちの移り変わりを示すパネルが設置されている
駅周辺のまちの移り変わりを示すパネルが
設置されている
 今後は、駅の橋上化によって、駅と再開発ビルが接続する。商業店舗のほか、区役所も高台から移転してくるので、ますます利便性が高まる。“関西の軽井沢”と言われたまちも、時代と共にコンパクトシティ化し、より生活に密着したまちに発展しそうだ。なお、再開発ビルは、特定建築者の大和リースが担当し、「ベルスト」と命名された。規模は、敷地面積4470m²に南棟(S造り7階)と北棟(同5階)の総延べ2万2870m²で、2018年夏のオープンを目指している。

 さらに、再開発ビルの完成後は道路や交通広場を整備し、19年度末の工事完了となる見通しだ。鈴蘭台駅の新たな歴史に名を刻む商業施設として、発展することを願っている。
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