電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第363回

「日本のモノづくりが生き残る道はひたすら高付加価値・高価格だ」


~元ソニーセミコンダクタ九州の副社長、松本博行氏の語る言葉は鋭い~

2019/12/13

「日本のモノづくりが生き残る道は、ひたすら高付加価値の高価格にあると思う。オンリーワン製品を作ってしまえば、それを使うしかないのであるから、価格競争には巻き込まれない。私はかつて、放送局向けに1個500万円のCCDを売っていたこともある」

元ソニーセミコンダクタ九州(株) 取締役副社長 松本博行氏
元ソニーセミコンダクタ九州(株)
取締役副社長 松本博行氏
 事もなげにこう語るのは、かつてソニーセミコンダクタ九州(株)取締役副社長としてリーダーシップを振るった松本博行氏である。松本氏は大阪市生まれ、府立住吉高校を卒業し、信州大学工学部電気工学科に進んだ。ちなみに、住吉高校は作家および政治家の堺屋太一氏の出身校であり、松本氏の同級生にはシャープの佐伯副社長の令嬢もおられたという。大学では、弱電ではなく強電を専攻していたが、途中から半導体に興味を持ち、就職は大阪でパナソニックに行こうと思ったが、様々な理由により、結局はソニーに入社する。1967年4月のことであった。

 「1971年からは厚木工場の開発部で電荷転送素子の開発に入った。75年にCCD開発部隊が、当時の中央研究所担当でもあった岩間和夫副社長の号令により、中央研究所に移転するのに伴い、CCDの仕事にのめり込むことになる。中央研究所時代がしばらく続くが、当時の所長はかの有名な菊池誠氏であった」(松本氏)

 78年には半導体技術の国際オリンピックともいうべきISSCCにおいて、市松画素配列蛇行転送CCDイメージャーの発表を行ったが、それなりの注目を集めたという。80年には厚木工場に戻り、CCD開発ライン構築に全力を挙げていく。

 「これは世間によく知られていることであるが、とにかくCCDの歩留まりといったら、とんでもなく低いものであった。どうにもこうにもならない、との思いがあった。それでもCCDカラーカメラの開発に注力してきたソニーにとって、80年はエポックメーキングな年になったのだ。1月には世界初のCCDカメラとして3分の2インチ、12万画素のCCDを2つ使ったカメラの商品化を発表し、これが全日空のボーイングスーパージャンボB747に搭載されることが話題を集めた」(松本氏)

 このCCDは1チップで数十万円もするものであったが、大きな成果として評価される出来事ではあった。松本氏によれば、ノンコンシューマー用CCDを100万円で売るなどということは日常茶飯事であり、別に驚くべきことではない、という。とにかくそれがなければ機器の性能が発揮できない以上、ソニーのCCDを使うしかないかないからであった。

 松本氏は、85年にCCDプロセス部長、88年にはCCD設計部長、91年にはCCD事業部長、94年にはCCDシステム事業部長を歴任していくわけであり、いわばCCDほぼ一筋の半導体人生を送っていくことになる。

 「CCDの歩留まりは徐々に引き上がっていき、汎用に使えるものになっていくのであるが、恐ろしいこともいっぱい経験した。工場ベースで言えば、良品として合格したCCDが出荷輸送中に飛行機の中でダメになってしまうのだ。まったく考えられないことであったが、宇宙線がシリコンの結晶を破壊してしまうことが分かった。北回りではどうにもならないので、南回りの飛行機でお客様に届けたこともある。また、船便であれば大丈夫であるが、急ぎの注文に対しては非常に困ったケースにもなった」(松本氏)

 もちろん、開発の鬼とも言うべきソニーの半導体部隊であるから、この宇宙線問題についてもクリアしていく。世界初のカラービデオカメラ、世界初のCCDカメラ一体型8mmビデオなどを実現していき、そして88年10月にはCCD累積生産数で500万本を達成する。CCDグループに対して井深賞が授けられることになるのだ。この頃、松本氏はCCD設計部長として第一線に立っていた。

 その後1999年に生産累計1億本を達成した。2000年には、映像デバイス事業本部長(のちソニー執行役員)となり、02年にはソニーセミコンダクタ九州(株)取締役副社長に就任する。この頃の大仕事としては、ソニーの新たな量産拠点となる熊本工場の立ち上げがある。

 CCDのど真ん中をひたすら走る半導体人生を送り、なおかつ日本のモノづくりが超強かった時代を生き抜いてきた松本氏に、今後の日本の製造業が生き残る道について尋ねたところ、明快にこう答えた。

 「価格競争に巻き込まれない分野で勝負しろと言いたい。その意味では、ドイツの製造業には見習うべきところがある。一方で、画期的なデバイスを開発し、その技術力と知財権をきっちりとブロックすれば、これまた大きな利益を上げることができる。ソニーという会社はオンリーワンデバイスを追求するのであれば、何でもやらせてくれた。その社風は誠にもって素晴らしい、と言うしかない」

 (泉谷渉/川名喜之の共同執筆による『伝説 ソニーの半導体』第6章より抜粋。同書は12月2日付で発刊された。定価3500円+税。版元は産業タイムズ社。お問い合わせ・お申し込みはTEL.03-5835-5892(販売部)。サンプルはWebにて公開中(https://www.sangyo-times.jp/syuppan/dtl.aspx?ID=139)。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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