電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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トランジスタの登場 2


グループ・サウンズとトランジスタの時代
~友人の中にカーナビーツのアイ高野、エレキの製作依頼された!

2022/4/22

 トランジスタが普及した1960年代は、音楽がリッチな時代でもあった。ビートルズ、ベンチャーズをはじめとする海外のバンドに加え、国産グループ・サウンズ、フォーク・ソング、歌謡曲が隆盛した時代でもあった。マヒナスターズのスティールギターの独特な音、ブルーコメッツ、タイガース、ブルージーンズ、他、多くのバンドが登場し、アマチュア・バンドのコンペテレビで放送された。歌謡曲も盛んで、「圭子の夢は夜ひらく」は一世を風靡し、フォークの神様、岡林信康の「山谷ブルース」は学生運動とも結びついて盛んであった。

 ビートルズが英国で登場したのは、1960年。解散したのは1970年であることからも、音楽の世界がグループ・サウンズの時代であったことは分かる。日本では、数年遅れて、フォーク・ソングのブームなり、これと重なってグループ・サウンズもブームとなった。

 こういった音楽のブームが起きた原因としてトランジスタ・ラジオが普及してきて、誰でも手軽にラジオを聞けるようになった事が大きく影響していると思う。レコードを掛けて聞くには、ターンテーブル、ステレオ・アンプといった大型の機器が必要で簡単には持ち運べない。

 しかしFM・AM用でもトランジスタとなり、FMステレオが普通となった。高音質の音楽が手軽に聞けることから、音楽の需要が大幅に増進したものと思う。

 自動車のラジオも同じであった。車内で気にいった音楽が聴ける。大型でありカラオケにも使われた、エンドレス・テープのカセットも車内で音楽が楽しめる。この頃のカーステレオは、圧倒的にトランジスタ製が多かった。

 それでも1960年代後半になると、1962年にフィリップスが発表したコンパクト・カセットが登場してきた。カセット・テープは、ラジカセという新製品を生み、後に、ソニーのウォーク・マンとなるカセットで、カセットの普及にはソニーが大きな力となった。

 フォーク・ソングは置いておいて、グループ・サウンズと言えば、エレキ・ギターであった。そしてエレキ・ギターにはアンプが必要になる。ギター用のアンプは、ともかく大きな音を出せればよい、しかし10代が主の若い学生達はプロ用の高価で高級な装置は使えない。

 友人(小中学校の同級生)の中に、後に、カーナビーツのアイ高野(故人)がいた関係もあって、エレキ・ギター用のアンプの製作や修理を頼まれることがあった。

 そして、この頃は、未だ、国産のトランジスタで大電力を扱うのは高価で難しかった。自宅のラジオからの真空管で出せる音響用の出力は、せいぜい3Wとか5W、ところがギター・アンプは、30Wから100Wが欲しい。このような高出力の真空管はラジオでは使われていない。LPレコード・プレイヤーにFM、AM、ラジオを備えたステレオ・セットであっても10Wから30Wとなっていた。そうするとアマチュア無線をやっていて真空管での高出力に慣れている自作派のアマチュア無線士が活躍する場となる。

 カラーテレビの中の高出力の真空管に目をつけてギター・アンプに使うことになる。カラーテレビ用の真空管の中古品も安価に入手できた。廃棄されたカラーテレビから電源トランスと高出力の真空管、小信号用の真空管を取り出して、出力段は、真空管でプッシュプルに使えば、50Wぐらいはすぐに実現できた。

 このギター・アンプを作るのは、回路としては音声信号の帯域、低周波だけなので難しいところはない。ギターのピック・センサーやマイクは、トランジスタで処理し、数V以上の信号になれば、後は真空管だけで中段から出力段を構成した。

 困ったのは、エレキ・ギターの演奏者達が、音を大きくしたい、と過剰な入力を与えるので、音が歪み、スピーカーはボイス・コイルが限界を越えて動き、スピーカーが壊れる使い方をすることであった。

 楽しみもあった。スプートニクス(欧州のグループ・サウンズのグループ名です)が出す独特な音に似た音が出したければ、真空管の第2グリッドに過剰な信号を与えて回路を一部、飽和させて歪んだ音にすればよいのだが、これだけでは「良い」音にならないので、色々とアナログ回路に工夫の余地があり、演奏する友人、アマチュア・プレイヤーとの音作りを楽しむこともできた。

 これは、その後、1970年代も最後の頃の話であるが、VHSビデオデッキが普及しはじめた頃、その売上が急速に伸びた。洗濯屋ケンちゃん、といった裏ビデオが持て囃され、ビデオデッキが一機に普及していった。

 ICもあったがビデオ用の専用ICの開発には年単位の時間が掛かる。そこで出始めのビデオデッキの回路はトランジスタで作られていた。日本人の特性でブームがあるとそこへ集中する。これで日本の国内ではトランジスタが大幅に不足した。

 筆者は急遽、韓国の金星社(現LG)のグミにあった半導体工場へ赴いてトランジスタの製造を依頼する購買チームに連れて行かれた。未だ、夜間、11時から戒厳令で外出禁止があった時代で、夜10時を過ぎるとタクシーの奪い合いが起き、追加料金も当たり前であった。もっとも、自分のホテルへ戻らず、別のホテルへ妓生(キーセン)と行ってしまう日本人は多かったので、此方もタクシーの需要を増やしていた。

 このトランジスタのブームは1年未満で終了したので、売り残した大量のトランジスタの処分に困ったのも記憶にある。

 今は、IC、LSIに、ライブラリィ利用の時代となり、創意工夫の余地が少ない。工夫をした経験がないと要求仕様を満たすだけの単純作業しかできない。これでは世界に通じる良い製品を産み出すことはできない。これからの技術者が、アマチュアとして様々な経験を積み、音や画像の質に拘り、自分で様々な工夫ができるような工業社会になることを期待する。
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