電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第21回

世の中、何が当たるかわからないんだぜ


~不思議カンパニーの旭化成はスマホ向け電子コンパスで圧勝~

2012/12/7

 世界は今や、「選択と集中」病にかかっている。もしくは、M&Aこそすべて、という風潮がみなぎっている。先ごろも三菱重工業と日立製作所が火力発電/地熱発電/燃料電池などの分野でお互いの分野を切り出し、新会社を設立することを決めた。メディアはこれをもてはやし、株価はこれを好感し上昇している。一方でソニーは、ケミカル分野をすべて外に出してしまったうえに、リチウムイオン電池分野を売却とさえ騒いでいる。こうした病的ともいえる事業合併、事業切り出し、M&Aの嵐は今後も世界を覆っていくだろう。

 ところで、「選択と集中などくそ食らえ」として超然たるポジションを維持しているカンパニーがある。それは、総合化学大手の旭化成であり、この始まりは1906年(明治39年)の曾木電気設立までさかのぼる。曾木電気は鹿児島県の大口に水力発電所を開設し、後の旭化成、チッソの前身となるカンパニーとして活躍する。この流れからは、積水化学も誕生してくるのだ。

 旭化成は会社四季報によれば、総合化学企業となっているが、もともとは繊維産業がメーンであった。ところが、今日にあってはへーベルハウスに代表される住宅事業を拡大しており、医薬・医療分野も新薬を軸に好調が続いている。家庭の主婦は「サランラップ」でこの会社になじみがあるだろう。自前で半導体工場も持っており、リチウムイオン電池の重要材料であるセパレーターについては、世界シェアの約4割を握りトップを疾走している。簡単にいえば、何がなんだかわからない不思議カンパニーなのだ。こうした姿勢を冷たく見るメディアは、一時期に「これはダボハゼ経営だ。何にでも手を出し、しかも脈絡がない」と批判していた。

 ところが、である。リーマンショックの折には世界の国すべてが不況であり、世界の産業すべてが落ち込み、どうにも出口がないという状況に陥った。日本の総合化学大手6社もみな不況にあえいでいたが、驚くことなかれ、旭化成ただ一社が黒字であった。このとき筆者は旭化成のメッカである宮崎に飛んで、1週間滞在し徹底取材を試みた。何ゆえに、この会社だけが黒字なのかという秘密を突き止めるためであった。

 結果的にわかったことは、旭化成といえども主力のケミカル分野はほとんど赤字であった。しかしながら、全社トータルでいえば黒字になっており、これを支えたのがメディカル分野であった。具体的には、同社の血液透析用人工腎臓の生産が急伸し、全社を支えた。この分野は国内でトップシェアであり、世界においてもトップグループを走っている。この人工腎臓の中核技術となっているのが、ベンベルグという77年前の繊維の技術であり、ここで培った膜分離、中空糸膜製造技術がものをいったのだ。

高級繊維素材のベンベルグは旭化成の基礎を作った
高級繊維素材のベンベルグは
旭化成の基礎を作った
 「ベンベルグはコットンから生まれた再生セルロース繊維であり、高級感あふれるシルクのような光沢と滑らかな肌触りが特徴だ。何しろ糸自身が呼吸するので、さわやかな着心地を保てる。超セレブお嬢様や奥様の下着を拝見すれば、みなベンベルグなのだ」
 筆者が親しくする繊維関係の業界紙記者の言葉である。しかしどうやって、目の前にいるセレブ女のブラジャーやパンティをのぞくことができるのだろうと思いながら、この話を聞いていた。それにしても、今や世界でベンベルグを作っているのは、旭化成とイタリアの1社のみである。しかも旭化成は世界シェアの90%以上を握っているのだから、事実上のオンリーワン企業だ。どんなことがあっても捨てなかったベンベルグの技術が、旭化成を救った。77年前の技術が同社の危機を回避させたのだ。

 ところで旭化成は、半導体事業にも古くから進出している。多くのメディアはこの事業展開に批判的であり、いつになったらこの部門を切り捨てるのかと、ほとんどの記者が思っていた。ところがギッチョンチョンである。旭化成が製造する電子コンパスは、2003年に製品化されたが、09年ごろからスマートフォンなどモバイル端末向けに爆発的に伸びた。実に市場シェアは世界の70%を握ったのだ。
 同社の電子コンパスは検出にホール素子を用いており、測定レンジが広い。しかも、これをASICとワンチップ化したモノリシック品として展開しており、他社に比べ大幅な小型化を実現している。大体が磁気薄膜などという技術はほとんどの会社が捨ててしまった。しかして、旭化成はこれを捨てなかった。結果として半導体分野においても大輪の花が咲いたのだ。

 宮崎で長期間にわたり取材した折に、旭化成の幹部の一人にこう聞いてみた。「なぜに選択と集中にそっぽを向き、開発や製造を捨てることなく、多角化路線をとるのか」。返ってきた答は次のようなものであった。

 「世の中、何が当たるかわからないんだぜ。10年先に何が当たるかを当てることは至難の業だ。だから何事も捨てない。いつかはどこかが当たる。選択と集中をしてしまえば、場合によって当たる製品を捨てることになってしまう」

 奥が深くてひだのある言葉、であると思ったのは筆者だけであろうか。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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