電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第408回

「鉄腕アトムを創りたい」という男が画像の新世界を切り開く


元ソニーの萩原良昭氏が開発したPPDは超優れものデバイス

2020/11/13

 「鉄腕アトムを創りたいというのが、ソニーに入社した動機であった。そしてまた、みんなが夢を共有していくというソニーの基本哲学は、自分にマッチングしていると考えた。IEEE主催の国際固体集積回路会議(ISSCC)の委員長をやらせていただくなど活躍の場を与えられ、今でもソニーには感謝している」(萩原氏)

ソニーの半導体で活躍した萩原良昭氏
ソニーの半導体で活躍した萩原良昭氏
 眼光は炯炯として鋭く、口調も滑らかにこう語るのは、ソニーで半導体の中枢を駆け抜けた人物として知られる萩原良昭氏である。萩原氏は1948年に京都に生まれ、洛星高校を1965年に中退し、南カリフォルニアに在住してRiverside市立高校に編入。1967年にカリフォルニア工科大学に進む。1972年には、修士課程そして博士課程を終えて、1975年にソニーに入社する。大阪・枚方の酒屋の出身の父親は、大手映画会社の東映の美術監督であった。京都奈良の寺社や町屋を歩き、建築写真を撮る父親に小学校時代よくついて行った。

 萩原氏を語るうえで何といってもピカイチの業績は、ダブル接合型受光素子であるPPD、別称Hole Accumulation Diode(HAD)の開発に1978年に成功したことである。これはまさに快挙ともいうべき出来事であり、この原理が今日のソニーの半導体を支えている裏面照射型のCMOSイメージセンサーに結び付いていく。

 「1970年代、CCDカメラの登場は、フィルムとメカのシャッターの文化を排除し、電子映像の新しい技術革新を実現したことになり、ソニーはまたもとんでもないことをやってのけたと世間に言われた。しかし、私が思うに、実は本当の光超感度の主役はCCDではなく、PPDである。さらに、トリプル接合型PPDを採用することにより、SONYは世界初の高速電子シャッターをも実現した」(萩原氏)

 このPPDのSONYでの開発背景のアナウンスが遅れたのは、発明者である萩原さん自身が1980年にはイメージセンサーの仕事から離れ、SRAM、DRAM、ADC、マイコン、さらにはロボットのAIBOやPS2、PS3の半導体部品の開発・商品化に注力して超繁忙なためであったという。自らが開発したこのPPDの特許の存在、詳細を忘れていて、PRしなかったというのだ。2019年に至って、萩原氏は仙台で開催された3次元集積回路の国際会議で初めて、IEEEの論文としてこの1975年の3つの特許を引用し、ダブル接合型とトリプル接合型のPPDの基本特許を世界の国際舞台で初めて、その詳細を紹介したのだ。

 「PPDは超光感度で光電変換出力が非常に大きく、一方で表面暗電流ノイズが小さく、また残像がない。このことは、1975年に3つの特許で発明し、さらにそのPPDの試作開発に成功し、1978年のSSDM1978で学会発表した。ソニーはそのPPDを使って、それまでにない、超光感度で、超低雑音で、かつ残像がなく、高速アクション映像を可能にしたビデオムービーを1980年に試作し、岩間社長が東京で、盛田会長がニューヨークで同日新聞発表し、世界を驚かせた」(萩原氏)

 1970年代中頃には、イメージセンサー用のフォトダイオードの改良は日立、NEC、東芝なども躍起になって取り組んでいた。しかし、ソニーのやり方は、受光部をピン止め固定電位のPプラス層(エミッター)にすることで、従来のフォトダイオードのように表面電位を制御するのでもなく、光透過率の悪いセンサー電極で受光面全面を覆う必要もないという優れものであった。世界最高レベルの超光感度のイメージセンサーを創るということは、ソニーにとってCCD時代からの悲願であった。このブレークにこの1975年のマルチ接合型受光素子であるPPDの提案は貢献できた、と今でも考えていると萩原氏は言う。

 「思い返せば、私がカリフォルニア工科大学の2年生の時に、かのインテルを創ったゴードン・ムーアが先輩としていた。ムーア氏は、これから新しいベンチャーを創るという意気込みを語っていた。200人で会社を創ることを誇りにしていた。そしてインテルができた。カリフォルニア工科大学の卒業生が集まって作ったのが、いまや半導体業界の世界チャンピオンに輝くインテルなのである」(萩原氏)

 いまも熱く語る萩原氏の脳裏にはまだまだ新しいアイデアがあるという。それは例えば「プロセッサー搭載のCMOSイメージセンサー」「可視光に頼らないCMOSイメージセンサー」「X線を検知するCMOSイメージセンサー」「太陽光に豊富な短波長紫外線を非常に効率よく電気エネルギーに変換する、超短波長光感度の太陽電池」などであり、これを開発できれば、それは素晴らしいことだと机を叩いて言う。今こそソニーは、あの死に物狂いの開発で、夢の製品、夢の工場を創ったころの原点に戻るべし、という萩原氏の指摘は、正鵠を得ているのかもしれない。

 鉄腕アトムを創りたいという一心で、ソニーに入社した萩原氏の遥かなる夢の舞台はまだ終わらない。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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