電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
新聞情報紙のご案内・ご購読 書籍のご案内・ご購入 セミナー/イベントのご案内 広告のご案内
第628回

大阪エリアの復権をかけた「関西ネプコン」は大盛況裡に終了!


70年万博は6421万人動員、日本のコンピューター保有台数も世界2位

2025/6/13

大盛況となった関西ネプコン
大盛況となった関西ネプコン
 RXジャパンが開催する「関西ネプコン」の基調講演でスピーチさせていただいたが、近畿エリアの方々の熱気を感じることができた。主催者によれば、同イベントの総来場者数は3万6000人(同時開催含む)となり、出展社数も580社を数え、大盛況であったのだ。

 開会式のテープカットにも参列させていただき、面映ゆい思いであったが、大阪府商工労働部長の馬場広由己氏のご挨拶には心動かされた。それは次のようなものであった。

 「RXジャパンの方々には感謝する。よくぞ、大阪において初めてのネプコンを開催していただいたと思う。大阪を含めた近畿エリアの企業の方々は元気いっぱいであり、とりわけ電子デバイスの世界、電子材料の分野では次の大活躍のステージが待っている。動員数も過去最大とうかがっており、本当に嬉しい」

 そしてまた、馬場氏は関西・大阪万博の開催されるこの時期に企業展示会の「関西ネプコン」が実施されることは、大阪の人たち、そして近畿の人たちを勇気づける、ということも云っておられたのだ。

 筆者はこの挨拶を聞いていて、関西エリアの電機大手三強の状況を考えざるを得なかった。まともに生き残っているのは松下(現在のパナソニック)だけであり、同社もかつて基幹ともいうべき部門であった半導体事業を切り離し、売り渡してしまったのだ。シャープは今や台湾企業の所有するところとなり、三洋は倒産のクライシスに伴い、パナソニックに吸収されてしまった。

 大阪のエレクトロニクスの地盤沈下は著しいものがあるのだ。しかして京都に眼を転じて見れば、半導体大手の一角であるロームがあり、一般電子部品のトップを行くニデック、村田製作所がしっかりと事業拡大を図っている。国内半導体製造装置で二番手のSCREENもいれば、マスフロコントローラーでぶっちぎりの世界シェアトップの堀場製作所もいる。さらにオムロン、京セラといった一流企業も京都にいるのだ。

 京都府は、こうした半導体関連の集積を見渡して「京都シリコンバレー」の形成を考えたいと言い出した。材料分野においても、グンゼ、大日本塗料、帝人、東洋紡エムシー、東レ、日東電工、ユニチカなどの各社が近畿エリアに拠点を構えている。

 そしてまた、関西ネプコンの活気あふれる会場を視察しながら、筆者は1970年の大阪万博フィーバーのことを考えていた。まさに戦後ニッポンの経済成長のピークを迎えた1970年、経済大国日本を国際社会に披露する一大エンターテイメントが大阪万博であったのだ。

 この万博の延べ動員数は6421万人となり、史上最高を記録した。当時の日本の人口は1億人強であったわけであり、なんと10人のうち6人が大阪万博に行くというサプライズであった。

 万博開催に沸いたこの年、日本のエレクトロニクス産業もさらに力強い歩みを見せる。ビクター、松下、ソニーによりU規格カラーVTRが発表され、この年、日本のコンピューター保有台数は世界第2位となり、情報大国日本のステータスを示すことになる。(今では全く考えられないこと!)半導体製造装置の分野においても、国産化スタートの元年となったのがこの年であった。

 半導体の世界においても、1970年はこれまたとんでもない年であった。九州日本電気、東芝大分工場、日立の高崎工場、松下の岡山工場、シャープの天理工場が立ち上がり、半導体王国ニッポンへの布石が打たれた年でもあった。

 半導体における大阪・近畿エリアの復権は、どうしても必要なことであり、それなくしてニッポン再生はないだろうと思えてならないのである。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2021年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
サイト内検索