先日、日本の革靴ブランドである「スコッチグレイン」を展開する(株)ヒロカワ製靴を取材させてもらった。同社専務取締役の廣川達郎氏に登場していただき、会社やブランドの歴史、現状や今後の展開などを話してもらい、非常に有意義な取材となった。インタビュー記事は弊紙2025年9月30日号に掲載しているのでぜひ読んでもらいたいが、当コラムではインタビューの中で書ききれなかった話をいくつか紹介したい。
まずは「会社とブランドの始まり」。ヒロカワ製靴は初代が靴づくりを始め、それを東京・上野で販売したところからスタートし、1964年に会社として創業した。創業時はスコッチグレインのブランドはまだなく、他ブランドのOEMや問屋への卸などを手がけていたそうだが、取引先からの勧めもあって、78年に自社ブランドのスコッチグレインを立ち上げた。
次は「本社社屋について」。現在、ヒロカワ製靴は東京都墨田区に本社と工場を構えており、靴づくりに関するほとんどをこの本社と工場で行っている。この場所には79年に引っ越してきたそうなのだが、その経緯がユニークだ。当時スコッチグレインを立ち上げたこともあり、隅田川沿いにあった旧工場がやや手狭になってきたので、初代社長が移転できる場所はないかと新しい土地を探してバイクを走らせていたところ、急にバイクがパンクしてしまった。それを見た人がパンク修理を手伝ってくれ、その修理中に工場の移転先を探している話をすると、どうやら近所の人だったらしく、ちょうど目の前の土地が空いているということでそこに移転を決め、それが今の本社・工場の場所となっているという。
次は「現在の革靴のマーケット」。実はヒロカワ製靴を含め、革靴のマーケットは厳しい状況にあるという。材料で最も重要な革は輸入であるため材料費の高騰は顕著であるし、また、ビジネスウエアのカジュアル化などによって仕事の時でもスニーカーを履く人が増え、革靴を履くシーンも減っているのだという。実際、ヒロカワ製靴もアウトレットの「有楽町店」以外は厳しい状況だとし、旗艦店で一番店の「銀座店」も例外ではないそうだ。と同時に、厳しい状況だからこそ、これをポジティブにスコッチグレインの転換期と捉え、より時代にマッチした靴づくりを始めていきたいという廣川達郎氏の言葉が印象的だった。
最後は「工場見学」。取材後、時間を割いていただき実際に工場見学もさせてもらった。オリジナルの木型から生まれるスコッチグレインの革靴はどれも職人の細かい技術によってつくられていて見事だった。