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No.729

「朝鮮通信使」の時代が懐かしい日韓関係


嚴 在漢

2019/10/29

 米中による貿易戦争の長期化と日韓の貿易摩擦などが重なり、韓国の物流ハブである釜山港が悲鳴を上げている。釜山と日本を行き来する旅客数は、2019年7~9月では通常の約20%となり、付加価値の高い積み替え貨物も減少するなど、「釜山港の危機」とさえ言われている。

 先日、取材のため久しぶりに釜山港旅客ターミナルを訪れたのだが、女性案内員は「以前は1日平均1500~2000人の日本へ行くお客さんで賑わったが、8月からは1日250~300人に減ってしまった」と語る。そして、女性案内員は不満気に「詳しく取材したいならば、釜山市港湾局に行って聞いてみて下さい」と呟いた。

釜山港の旅客ターミナルは閑散としている
釜山港の旅客ターミナルは閑散としている
 釜山から対馬(厳原港)行きの船便4隻は、19年8月19日以降運行を中止。大亜高速海運(慶尚北道浦項市南区)は、釜山~対馬(比田勝港)路線を未来高速海運(釜山広域市東区)と隔日制で2隻を運航するようになり、便数も大幅に減らしている。

 韓国最大の貿易港である釜山港の物流量も減りつつある。19年5月から積み替え貨物が減少に転じ、8月からはさらに悪化している。釜山港の積み替え物量は19年6月時点で28カ月ぶりに、前月対比で減少に転じた。積み替え貨物は韓進海運が3年前に経営破綻したことから、16年8月から8カ月連続して減少したものの、17年8月から増加へと回復していた。

 釜山港湾公社の関係者は「18年上半期に中国は米国の関税賦課直前に輸出品を事前にたっぷり船積みした基底効果に加えて、一部の外国船舶会社が目的地に直行する物量を増やしていることも一因である」と説明した。

 「わずか3カ月前までは、釜山港や金海国際空港へ行くお客さんを乗せて毎日数回往復したが、今はタクシーに乗るお客さんが滅多にいない」「韓国政府も日本政府も、日韓経済交流に携わる現場の声を是非とも聞いてほしい」と、釜山で20年というタクシードライバーはため息まじりに話した。

 「数年前から、週末になれば数千人の団体観光客が対馬を訪れたが、日韓関係が悪化した8月からは観光客が急減した」「日韓の経済摩擦がエスカレートし、日本製商品の不買運動が長引けば、免税店の運営に大きな打撃となることは避けられない」(釜山港旅客ターミナルの免税店従業員)と嘆く。

 今から約430年前、豊臣秀吉はいわゆる「文禄慶長の役」として朝鮮に出兵した。この変乱を朝鮮では「倭乱」と名付けて日本が朝鮮を攻めた「侵略戦争」と非難している。豊臣秀吉が中国の「明」を滅ぼすために始まった戦争は7年間も続いた。だが、豊臣秀吉は戦争中に病死。戦争を終結させたのは、後の徳川家康である。朝鮮王朝は徳川家康に戦争に対する謝罪と賠償を求めたところ、「私はむしろ戦争を終わらせた人物だ」と言い返した。戦争前まで、朝鮮との貿易で栄えた対馬の島主は日韓の交流回復を狙い、朝鮮王の臣下と秘密裏に対馬で徳川家康が謝罪する趣旨の国書に変える。また、朝鮮王の国書も友好的な内容に変えて両国は講和条約を結んだ。そして誕生したのが、かの有名な「朝鮮通信使」である。約260年間持続した江戸時代と朝鮮時代は、漢陽(当時のソウル)から釜山~対馬から江戸へと両国の文物を交流し合った天下泰平の時代であった。今はまさに、その朝鮮通信使の時代が懐かしい2019年の日韓関係である。
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