電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第293回

富士通三重工場がUMCに譲渡決定、またひとつニッポンの灯消える


~94年に国内トップの設備投資を断行した栄光の姿は今どこに~

2018/7/13

 今からおよそ四半世紀前の1994年は、半導体の歴史上においてメモリアルイヤーとなった年であった。すなわち、世界半導体がPCブームで初の1000億ドル台乗せとなったのだ。前年比でいえば、成長率は実に31.7%であった。

94年は一大半導体ブームであった(日本半導体50年史=産業タイムズ社刊より)
94年は一大半導体ブームであった
(日本半導体50年史=産業タイムズ社刊より)
 この高成長を引っ張ったのは何と言っても米国のパソコン市場であり、この年1800万台に達し、日本においてもパソコン出荷台数は前年比40%増の320万台に達していた。しかしながら、世界の高い伸び率に比べて日本の半導体市場は明らかに低いところにとどまっており、94年は円ベースで14%の成長であった。

 これはバブル経済崩壊後の内需拡大政策の失敗、村山自社連立政権に代表されるような政治の不安定が原因であり、国内景気は3番底に向かうという低迷ぶりで、失業率も増大していた。街を歩けば茶髪のコギャルが登場し始め、ミスチルの『イノセントワールド』がヒットしていた。

 こうした状況下にあって、この頃ニッポン半導体の大手の一角を担っていた富士通は、国内半導体メーカーでは最大規模の1250億円の設備投資を断行、何と前年度比50.9%増という積極策が話題となった。当時の富士通の半導体担当の取締役である槌本隆光氏は、半導体産業新聞(現:電子デバイス産業新聞)のインタビューに対しこう答えている。

 「ロジック分野ではゲートアレイ、マイコンが好調に乗せてきており、供給不足が続く。ポストDRAMの主役といわれるフラッシュメモリーでは、米AMDと合弁事業を展開し、拠点の会津若松に大規模の新工場建設を実行する」

 さて、こうした94年当時の富士通の話を若い記者たちにしたところ、ただただ驚いていた。まず第一に、今をときめく半導体メモリーの主役であるフラッシュメモリーについて、富士通が踏み込んだ開発と量産を行っていた事実があったことに皆びっくりしていたのだ。

 そしてまた、現状において富士通は拠点の会津若松工場売却を決めており、同社としては先端の三重工場をUMCに売却してしまうことで事実上、富士通セミコンは生産という点で消滅してしまうことを意味する。もっとも、優秀な設計部隊はパナソニックと合弁で作られたソシオネクストに移籍し、それなりに活躍しているものの、生産からほぼ撤退するということの意味は大きい。

 現在、台湾UMCは三重富士通セミコンダクターの株式15.9%を保有しているが、富士通が持っている残り84.1%を576億円で取得することになった。三重工場は300mmウエハーで月産能力3.6万枚を有しており、製造プロセスは90/65/55nmがメーンだが、40nmロジックラインの立ち上げも進めてきた。そして三重工場はCMOSイメージセンサーの世界チャンピオンのソニーからロジック、マイコンのファンドリーを引き受けていたことでも知られる。一時期はソニーが富士通三重を買収するのではないかという噂も流れていた。

 おそらくはソニーの車載向けを中心とする最先端製品に合わせ込むプロセスができないために、ソニーからのファンドリーが引き上げることになり、要するに作るものがなくなってしまった。これがUMCへ譲渡する最大の理由と思われる。ちなみに一時期のことではあるが、かの有名人である坂本幸雄氏がアドバイザーとして三重で働いていたこともあるようだ。

 それにしても、日本が期待を賭けたDRAM量産の共同工場であったエルピーダメモリがマイクロンの傘下に入り、シャープもまたメーンの福山工場をはじめ、すべて台湾・鴻海の傘下に加えられてしまった。パナソニック半導体は魚津、砺波、新井の3工場を擁していたが、現状ではやはり外資系のタワージャズグループが株式の過半を押さえている。そしてついに、富士通三重も台湾半導体の持ち物となってしまった。かつてニッポン半導体の大きな灯であった富士通は徐々に光を弱めていき、今消えようとしている。

 確かに現状を見れば、東芝、ソニーをはじめとするニッポン半導体の設備投資は2年連続で1兆円を超え、ひたすら徹底的に闘う姿勢を見せている。ただ今回の富士通三重の出来事でニッポン半導体の世界におけるシェアはさらに下落し、もはや7%台に突入しているものと思われる。しかしてこれを嘆いている暇はない。今こそ国内半導体メーカー各社はIoTに対応するデバイスの開発に総力を挙げ、あくまでも設備投資で戦う姿勢を明らかにしてほしい、と念じるばかりである。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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