電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第304回

1976年の超LSI技術研究組合がニッポン半導体を世界一にした


~700億円プロジェクトの立役者、垂井康夫氏が語る言葉の深さ~

2018/9/28

 40年以上も前のことである。1976年3月に当時の通産省補助金による超LSI技術研究組合の創立総会が開かれた。この組合は将来のコンピューター開発の要となる超LSI技術を研究する目的で設立されたものであった。富士通、日立製作所、三菱電機、東京芝浦電気(現東芝)、日本電気、日電東芝情報システム、コンピューター総合研究所の7社が大同団結して共同研究を進めることになったのだ。実に700億円を投じる国家プロジェクトであった。この開発の技術におけるリーダーが共同研究所の垂井康夫所長であった。

 「競合する会社同士が次世代の超LSIを開発するという初のプロジェクトであり、非常に苦労が多かった。7社から選出された担当部長の会議を開いたところ、自分たちのノウハウは一切出せない、という強い主張がなされたのだ。そこで私は『基礎的共通的』研究にフォーカスするという言葉を使った。この提案によって一致団結が図れた。そして『基礎的共通的』という言葉は、開発の4年間を通しての標語となったのだ」(垂井康夫氏)。

 翌1977年には早くも画期的な高速電子ビーム露光が発表され、世界をあっと言わせた。そしてこの発展の上に立って縮小投影露光装置、すなわち光学ステッパーが登場する。これが世界の半導体製造の歴史を変えることになった。超高歩留まりで微細加工が可能となり、この装置がニコンおよびキヤノンによって世に出ていく。当時マスクアライナーで戦っていた米国を追い抜いた瞬間であった。

 「この頃の半導体にかける熱い思いはすさまじいものであった。何としても世界のトップレベルになるという各社の気合いが、ステッパーという装置に結びついていった。ちなみに私たちとは別のかたちでNTTが超LSI開発プロジェクトをスタートさせており、ここには400億円が投入された。世界初の64K DRAMの開発に成功し、これまた世界を驚かせたのだ」(垂井氏)

 超LSI技術研究組合が発進した1976年の国内のIC売上高はたったの1649億円であり、何とこの段階で国家を挙げての超LSI開発に1100億円の巨額を投入するというのは、驚き以外の何ものでもなかった。しかして、この成果は1980年代に入ってニッポン半導体の超爆裂成長につながっていく。

 1983年には国内半導体メーカー大手30社の全生産額は前年度比41%増の1兆9311億円を記録し、実質上米国を抜いて世界のトップに躍り出る。1988年には1M DRAM戦線で日本勢が圧勝し、世界シェア9割を握る。1989年、つまり平成元年にはニッポン半導体は世界シェアの53%を占有し、まさに半導体王国を築くことに成功したのだ。

 「しかして90年代に入りニッポン半導体の後退が顕著になっていく。これには様々な理由があったが、その1つには1986年の日米半導体協定の締結があった。何と1992年末までに日本市場における外国系半導体のシェアを20%以上にするという約束をさせられた。しかしこの頃、ある半導体カンパニーの部長さんは、こともなげにこう言い放っていた。“購入した米国製品は、輸入途中の太平洋に捨ててきてもいいのですよ。日本の半導体製品の方がはるかにいいのですから”。このとき私は米国のポテンシャルを考えない単純な優越感に危惧を抱いたのだ」(垂井氏)。

 周知のように家電製品で切り開いた日本の半導体は、その後パソコン、スマホの世界に入ってデファクトスタンダードを取れなくなり、見事なまでに負け戦が続く。日本の半導体製品の良品率や寿命の長さは世界に認識されていたが、とにもかくもコスト高で、台湾・韓国などの製品に対抗できなかったのである。そしてまた、メモリーに続く大型製品であるシステムLSIの分野でクアルコム、ブロードコム、エヌビディアに叩きのめされる。もちろんパソコンのCPUではインテルに対し全く歯が立たなかった。

当時の超LSI技術研究組合の共同研究所全スタッフ
当時の超LSI技術研究組合の
共同研究所全スタッフ
 「今日に至って日本政府は、かつての超LSI技術研究組合のような大型国家プロジェクトを推進できなくなった。いかんせん財源がないのであろう。しかしながら中国のハイテク産業育成策“中国製造2025”に巨額の開発投資がされている現状を見るにつけ、日本の将来が危ぶまれてならない。命を賭けた研究開発こそが明日を切り拓く。IoT時代を迎えて半導体の重要性は高まるばかりだ。勇を鼓舞してもう一度、次世代IoTに向けての画期的な半導体および製造装置の開発に注力する時がやって来たと思えてならない」(垂井氏)。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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