電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第305回

TVドラマ『下町ロケット』の撮影に全面協力するスピリッツ


~半導体バルブ世界一のフジキンのCEO(最高経営責任者)小川氏が語る町工場の重要性~

2018/10/5

 TBS系TVドラマの『下町ロケット』(原作・池井戸潤)を見てボロ泣きしている友人たちを何人も知っている。確かに町工場がとんでもないことをやってのけるというストーリーは、首都圏なら川崎、鶴見、蒲田、大森などで現在も頑張る町工場の人たちに多くの勇気を与えているだろう。大阪エリアであるならば、東大阪、八尾などの町工場でこれを肴に酒を酌み交わす人たちの数も多いという。

 東大阪を製造拠点とし、大阪にヘッドクォーターを持つ(株)フジキン(総本社=大阪市北区芝田1-4-8)もまた町工場から出発し、世界に飛躍するバルブの技術をベースに地歩を築いていったことは世に知られている。同社の超精密ながれ(流体)制御機器は半導体分野において今や世界シェア43%を占めており、世界のトップを走っている。そしてまた宇宙ロケットの分野においても、シェア80%という驚異的な数字を達成し、特殊精密バルブ機器・モジュールのシステムメーカーのトップランナーとして着実に歩み続けている。

 「下町ロケットの撮影には、これまでも全面協力してきた。10月14日からTBS日曜劇場で下町ロケットの第2弾シリーズが始まるわけであるが、つい先ごろの9月15日にもフジキン万博記念つくば先端事業所において撮影が行われた。フジキンの生産現場で働く人たちもエキストラとして多く登場した。その後も随時エキストラ出演、撮影を続けている。フジキンを撮影に使っていただくことは、大変名誉なことだと受け止めている」

フジキン 代表取締役兼CEO 小川洋史氏
フジキン 代表取締役兼CEO 小川洋史氏
 こう語るのはフジキン代表取締役 兼CEOを務める小川洋史氏である。小川氏は昭和13年に名古屋で生まれた。父は三菱航空機の部品を作っている鉄工所を経営していた。その後滋賀県草津に移り、さらに大津に移り、戦後は瀬田工業高校を出て村田機械に2年半勤務した。小川氏の兄がフジキンの番頭を務めていた関係で、20歳にしてフジキンに移籍し今日まで全力投球の日々を続けてきた。

 「フジキンも中小の町工場のメッカである東大阪に製造拠点を持っている。自分たちもまた町工場からのスタートであったわけであり、夢にかける姿に心を打たれる。ニッポンのモノづくりを支えているのは、中小企業の力であると確信している。下町ロケットを観ていると、つくづく感じさせられる」(小川氏)。

 さて、フジキンは今年の5月で創業88周年を迎えた。10月15日には帝国ホテル東京において、創業88周年記念感謝の会を開催する。

フジキンの最近の売上高は国内だけで888億円を達成しており、連結では名実ともにグローバルカンパニーに大躍進した。何しろこの3年で売上高を2倍にした、という凄まじさなのだ。研究開発には売上高の二十数パーセントを投入するというほどのR&D重視型企業であり、設備投資も必要な時には思い切ってやる。何しろ1台6000万円以上もする5軸マシニングの機械を120台も購入するというほど、集中投資を実行するのだ。CEO小川氏の考えでは、ここ数年で連結1300億円以上には持っていきたいとしている。

 「昭和48年のことであるが、フジキンも一大クライシスを迎えたことがある。労働争議が激化し、あわや倒産というところまで行ったのだ。従業員がストライキをしているわけだから全くモノが作れない。しかしその時助けてくれたのが、フジキンにつながる多くの協力企業、すなわち町工場であった。現在はこの協力会社(現:共創工場)は120社まで拡大している。本当に苦しくなった時に、体を張ってフジキンを支えてくれた町工場のご恩は一生忘れない。勿論、それもユーザーのお客様のご指導、ご支援あってのことは言うまでもありません」(小川氏)。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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