電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第429回

「1984」は半導体の歴史に残る爆発的伸びの年であった


それでも生産額は7兆円、今日の50兆円の巨大市場は予測できず

2021/4/16

 新宿歌舞伎町のおかまちゃんならぬホストクラブの存在が、コロナ禍にあってひときわ注目を浴びた。この街は、今も昔も風俗の乱れがすさまじいところである。1984年8月のことであるが、あまりの乱痴気ぶりを規制すべく、風俗営業法改正案が成立する。

 いわゆるフウエイ法のスタートであるが、昨今の歌舞伎町の様子を見れば、今日にあってもこの法律は全く意味をなさないと言えるだろう。それはともかく、1984年という年は、バブルに向かってひた走る社会の中にあって、「丸金」「丸ビ」が流行語となった。要するにお金のある人とない人がかなり明確に分かれてきた状況を意味した。甘え社会を象徴するように、くれない族が登場、これは何かにつけて「~してくれない?」を連発する若者を示す言葉となった。

 そしてまた、1984年は、半導体やエレクトロニクスが盛り上がるオリンピックイヤーにあたる年であった。ロサンゼルスで開催された第23回オリンピック大会は、ソ連や東欧諸国などのボイコットでモスクワ大会に続く変則五輪となったが、参加は140カ国と史上最高であった。

 日本勢は、柔道無差別級で山下泰裕選手が足を痛めながらも、まさに根性の金メダルを獲得した。体操個人総合では、具志堅浩二選手が優勝した。金メダル10個、銀メダル8個、銅メダル14個を獲得し、ニッポンここにあり、との姿勢を世界に示すに至った。

 さて、この年、半導体産業は史上空前の活況を迎えていた。世界全体の半導体市場は、前年比49%増の264億ドルに達していた。この爆発的ブームを支えたのは、何といってもパソコン市場の急成長であった。しかしてこの頃、半導体を中心に日本の集中豪雨的な輸出攻勢に手を焼いていた米国は、必ずしも手放しで日本に拍手していたとは言えない。

 そしてまた、これまで米国に頼っていた半導体製造装置は、まさにこの年、本格的な国産化の時代を迎えることになる。汎用メモリーの代表格である64K DRAMの量産は、史上最高レベルとなり、これを得意とする日本勢の活躍は目覚ましかった。

 この活躍をきっちりと裏で支えたのが、半導体製造装置業界であった。露光の分野においては、ステッパーの2大メーカーであるニコンとキヤノンが、世界市場を独占していた。今日にあって、オランダのASMLが露光の世界を完全に牛耳ってしまい、国産露光装置はレガシープロセスだけで活躍という状況を、1984年時点では全く予想することができなかったと言えよう。

 64K DRAMから256K DRAMへという超LSI本格期を迎えて、装置の時代が到来していたが、国産装置メーカーの代表格ともいうべき東京エレクトロンは1984年、東証一部に上場を果たした。この会社は、いわばベンチャーの走りであり、1963年に大手商社の日商岩井を飛び出した気鋭の若者たちが、大手放送会社のTBSの出資により設立したカンパニーであった。

 大日本スクリーン製造は、国産スピンコーターで圧勝していく。アネルバは受注額2.2倍となり、スパッタリング、ドライエッチングを中心として、すさまじい勢いで売り上げを伸ばしていた。

 そして、1984年度の国内の半導体生産状況を見れば、NEC(現在のルネサス)は前年度比61%増の驚異的な成長を達成していた。国内でトップであるだけでなく、世界ランキングにおいても第3位に浮上しており、1年以内にトップのテキサス・インスツルメンツを抜くことになるのである。

九州日本電気を率いていた鈴木政男社長
九州日本電気を率いていた鈴木政男社長
 この頃、九州日本電気のトップの座にあった鈴木政男社長、通称スズマサはひたすらに設備投資をガンガンやることを本社に突き上げていた。当時の九州日本電気は、まさにすさまじいばかりの繁忙の中にあった。従業員は大晦日まで働いて、元日の夜10時からまた作業を開始するという状況であった。

 ちなみに、1984年という年は、筆者が所属する産業タイムズ社にとっても、超メモリアルイヤーであった。筆者が1人で新聞原稿にして3000枚を書き上げた『半導体産業計画総覧1984年度版』が発刊された年であった。この本は、まさに超バカ売れして、筆者は半導体記者への道をひた走ることになってしまう。

 それにしても、1984年の半導体生産はその時点で史上最高の生産額を達成したが、それでも世界全体の半導体売上額は7兆円くらいであった。それから37年の歳月が流れたが、今日にあって半導体産業は巨大な存在となり、その生産額は50兆円を超えてきた。1984年という風俗の年、「丸金」「丸ビ」の年、オリンピックの年を生き抜いた筆者としては、信じられないという思いで、昨今の半導体の爆裂的成長にため息をついているのである。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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