電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第442回

「戦艦大和」のスピリッツは今も半導体に生きている


広島県呉市の生誕の地、ジャパンマリンユナイテッドの前に立った時の感動

2021/7/26

「戦艦大和」生誕の地は広島県呉市のジャパンマリンユナイテッドの造船所
「戦艦大和」生誕の地は広島県呉市の
ジャパンマリンユナイテッドの造船所
 広島県呉市に出かける用事があった。そこは知る人ぞ知る「戦艦大和」生誕の地なのである。取材および講演のための小さなツアーであったが、なぜか東京オリンピックを迎えての日本の在り方などを考え込む有様であった。太平洋戦争で300万人以上の死者を出し、どん底に沈んだ日本がもう一度蘇ってきて開かれたのが、前回の昭和39(1964)年の東京オリンピックであった。

 筆者もまだ子供ではあったが、前回の東京オリンピックはしっかり見ていた。古関裕而氏が作曲した名曲『東京オリンピックマーチ』を聞いて、日本選手団が入場してきた時には熱い思いが込み上げてきたことをよく覚えている。

 しかし考えてみれば、日本の海軍が最後の戦いとして、世界最強の軍艦である「戦艦大和」を沖縄に向かわせたが、米軍の凄まじい攻撃にあって沖縄に着くこともなく沈没してしまった。その時から19年という歳月を経て、日本は見事に経済発展を遂げて世界のステージに戻ってきた。それが前回のオリンピックの最大の意義であったのだ。「ニッポンこれにあり」という姿を世界に見せつけたのだ。

 しかして今回の東京オリンピックは、何という有様の中で開催されるのであろう。100年に1回ともいわれるパンデミックである新型コロナウイルス感染症の猛威が、収まらない中で開催にこぎつけたのだ。お祝いムードは全くない。ただ筆者は、5年間も待たされた世界のアスリートたちが力いっぱいの競技を見せてくれることに対し、テレビ画面に向かって心からのエールと拍手を送りたいと思う。

 ところで、沖縄沖に今も沈んでいる「戦艦大和」を引き上げて、全面改修を行い展示したらどうかという意見がある。筆者は全く大賛成である。本物の「戦艦大和」を沖縄でも九州でも広島でもよいから展示すれば、国内はおろか世界中から観光客が来ることは間違いない。

 「戦艦大和」はすさまじい技術の集積であった。装甲板は非常に厚みのあるものであり、これを作れる技術は世界広しといえど、八幡製鉄(現在の日本製鉄)以外にはなかった。そしてまた戦闘機に対抗するための照準器もまた、世界最高レベルの技術を駆使して作られた。この照準器を作ったのがニコンである。驚くなかれ、この大和の照準器の技術をニコンは後に大切なものに応用することになる。すなわち、半導体製造装置の最も重要な位置をなす露光装置に応用していくのだ。

 ニコンは1980年代から1990年代にかけては、キヤノンと並んで世界の半導体露光装置のトップランナーとして大活躍した。残念ながら今日にあってはオランダのASMLに後塵を拝しているが、それでもニコンの技術は素晴らしいものがあるのだ。

 2020年の世界の半導体製造装置トップ15社ランキングにおいて、ニコンは第12位にランク(VLSI Research調べ)されており、今もそれなりの存在感を持っているのだ。ArF液浸、ArFドライ、さらにレガシーともいうべきKrF、そしてi線などのステッパーが、いまだに活躍している。IoT時代を迎えて、ハイエンドだけではなくローエンドの製造装置も活躍するステージがあり、その意味ではニコンやキヤノンの存在は実に重要なのである。

 それにしても、76年前に沖縄沖に沈んでしまった世界最強の「戦艦大和」に使われた技術が、今も半導体産業に残っていることは驚き以外の何物でもない。大和は死なず、とはこのことだろう。そして大和を作り上げた人たちのスピリッツも決して死んではいない。

 呉市のジャパンマリンユナイテッドの造船ドックのところに立てば、「大和のふるさと~呉の海から世界の海へ」という大きな看板が目に入ってくる。時あたかも半導体をめぐる世界バトルが巻き起こっているが、もう一度ニッポンの凄みを世界にとどろかす時であり、その姿を「戦艦大和」が見守っているのかもしれない。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 代表取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2020年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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