電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第448回

再び「イギリスのやっていることはすべて正しい」という見方


しかして、史上最大の5.5兆円のArm株売却は問題が多い

2021/9/10

 イギリスのロンドンで行われたサッカー欧州選手権は、イングランドが決勝に進出したこともあって、大盛況であった。準決勝のイングランド対デンマーク戦は、6万人以上を集めたのだ。この映像をテレビで観ていたら、ほとんどの観客がマスクをしておらず、大絶叫しており、コロナの感染は大丈夫かよ、などと思っていた。その後、この試合会場では大会を通じて9000人がコロナに感染していることが判明した。

 「だから言わねえこっちゃねえんだ」と筆者は驚き、呆れていたのであるが、よく考えてみれば、イギリス政府はいの一番とも言ってもよいくらいに、コロナに関するすべての規制、自粛を解除するという画期的な方針を打ち出したのだから、こんな結果は目に見えていたのだ。それでもイギリス政府は全く動じない。イギリス国民もまた、ほとんど問題にはしない。「コロナとともに生きる」が一番重要な選択であるという認識が、政府と国民のすべてに行き渡っているからである。

 新型コロナの感染数が世界各国に比べて相対的に少ない日本においては、あまりの温度差にたじろぐ人が多い。イギリスはおかしいんじゃないの、と言う人たちが多いが、すでにシンガポールもコロナに関するすべての制約を解除してしまった。次々とこうした国家が表れてくるのは、必定であるのかもしれない。筆者が申し上げたいことは、前にも指摘したことであるが、イギリスは常に世界に最先行し、その選択はほとんど当たっているということなのだ。

 何しろ、世界に先駆けて産業革命を達成し、これをテコに大英帝国を築いていき、一時期は英国人にあらねば人にあらず、というほどの強さを世界に見せつけていた。そしてまた、「EUを作るべきである。これからはグローバリゼーションの時代だ」と強く提案したイギリスが、真っ先にEUを脱退してしまった。これは、グローバリゼーションの終焉を見て取った英断であったと思う。

 トランプ氏率いる米国などは、米国第一主義をとり、他の国はどうでもいい、とさえ言っていた。そして中国やロシアも自己完結型の国家として君臨している。中近東に至っては、タリバンが再び事実上政権を握るということが起きて、イスラム第一という風が広がっている。

 かつて言われた民族自決主義が一気に台頭している。そしてまた、それぞれの国が自分のことは自分で決めるというかたちになってきており、要するにグローバリゼーションからローカリゼーションに世界が移ってきた。このイギリスの先見性には参ったと言うしかない。

 考えてみれば、演劇という分野においてのベーシックを作り上げたのは、ウィリアム・シェイクスピアである。ミステリーという分野においても、圧倒的な原形となったのは、シャーロック・ホームズなのである。皆、イギリス人がやったことなのだ。そしてまた、半導体という分野においても、ArmというとんでもないIPカンパニーを設立したのがイギリスである。

 Armは1990年に創立され、実際の半導体チップの製造と販売ではなく、IPの設計とライセンスに重点を置くビジネスモデルを業界でいち早く確立した。Armの技術はスマホの95%以上、タブレットの85%以上、ウエアラブル機器の90%以上、車載用情報報機器の95%以上で使用されている。Armベースの半導体チップは、19年度段階で累計出荷数が1660億個に達している。まさに半導体IPの王者もまた、イギリスから生まれたのである。

 このArmを日本のソフトバンクが2016年7月に3兆4100億円を投じ、買収してしまった。日本企業による海外企業の買収としては、過去最大規模となった。この折に筆者は、「ソフトバンクの孫ちゃんは、全くもってエライ人だ。半導体の持つ価値をよくわかっている人だ。Armを手に入れたことで、ニッポン半導体は前進する。とにかく孫ちゃん大好き」などと今思えば、恥ずかしくなるような絶賛の言葉を言い放っていた。

 ところがどっこい、ソフトバンクはなんと米国のエヌビディアにArmを売却しようとしているのだ。Arm株は上昇を続けており、今の売却額は5兆5000億円まで膨らんでいる。つまりは、ソフトバンクがArmを売却して得る利益は、2兆900億円にもなるのである。このことに気が付いた筆者は「とても悲しい。孫ちゃんはやっぱり金だけの男なのね」と深くため息をついた。

 しかして、この史上最大の買収のドラマは、不調に終わる可能性も大きい。まずはイギリス当局がこの承認を反対している。さらに中国は、決して認めないという方向だ。つまりは、Armのような世界のスタンダードIPを米国の一企業に独占させることは、軍事防衛上においても、セキュリティーが保てないとの見方も強い。この行方については、皆、関心を持っているが、ソフトバンクはこれが成功しなければ、IPOを実施する可能性も残されているのだと言えよう。

イギリスの選択はすべて正しいのかもしれない。
イギリスの選択はすべて正しいのかもしれない。
 それにしても、大英帝国の栄光は過ぎ去ったとはいえ、イギリスという国はいまだに世界をリードしていると思えてならない。とても嬉しいことは、イギリスは明治維新以来、基本的には日本びいきであり、日本国民にかなりのリスペクトを持っている。第二次世界大戦では、イギリスを敵に回すことになったが、これからも我が国ニッポンは、常にイギリスの動き方をよく見て勉強しなければならない、と切に思っている。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 代表取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2020年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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