電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第477回

「畳の上ではライバルでも心は一つ」というのが真の柔道家精神


日本オリンピック委員会の山下泰裕会長が語る言葉は実に重いのだ

2022/4/8

 「待望のモスクワオリンピックへの出場が政治の世界の問題で流れてしまった時には、本当に驚いたし、失望もあった。しかしながら、私はそのモスクワオリンピックの柔道会場の現場にいたのである。何という幸せな時間かと思っていた」

 こう語るのは、公益財団法人日本オリンピック委員会の会長であり、IOC委員を務める山下泰裕氏である。山下氏は、1984年にロサンゼルスで開催された第23回オリンピック大会において、柔道無差別級で足を痛めながらもまさに根性の金メダルを獲得した人である。

日本オリンピック員会の山下泰裕会長(右)
日本オリンピック員会の山下泰裕会長(右)
 「モスクワオリンピックの柔道会場に入っていった時に、大勢の人たちが騒ぎ出したのをよく覚えている。山下が来てるぞ!!との声が飛び交い、多くの人たちから励ましの言葉をもらった。出場できない無念さはあったものの、柔道をやる人たちの心はつながっているのだという気持ちで胸が一杯になった」

 ところで山下氏は、モスクワにおける柔道の試合を見続けたが、この時は「何という幸せな時間であるか」という状況であった。ところが、日本の記者団はこれを見つめる山下氏の背中を写し込んで、絶望感で悔しさ一杯で試合を見る山下氏、とただひたすら書き続けた。山下氏がメディアというものは全く信用できない、と心の底から思った瞬間であった。

 さて、1984年のロサンゼルスオリンピックは、モスクワのお返しとも言うべき変則五輪となった。つまりは、ソ連や東欧諸国などのボイコットになってしまったのである。山下氏は、2回戦でふくらはぎに肉離れを起こし、試合を続行できないほどの重傷を負ったのだ。

 それでも決勝戦に進出した。相手はエジプトのラシュワンである。後日談ではあるが、ラシュワンはコーチ陣から、「山下と組んだら1分間は攻撃するな」と言われていた。それほどの重傷であるからして勝利は確実であり、「仕掛けてはいけない」と言われていた。

 それでもラシュワンは我慢できなかった。そして、払い腰をかけてきたのである。これを外した山下氏は、横四方固めに決めて、悲願の金メダル獲得となったのである。

 「ラシュワンは、自分の痛めている方ではない方の足に技をかけてきた。これはすぐにわかった。そして自分は勝ったのであるが、表彰式の時に足を痛めている自分を気遣って、表彰台まで連れて行ってくれたのがラシュワンであった。帰る時も、ラシュワンが介添えしてくれた。畳の上では全力を挙げて戦うが、同じ柔道家同士として、心はひとつなのだ、と切に思った」(山下氏)

 山下氏はその後、日本の柔道界を引っ張っていくリーダーシップを大いに発揮していく。そして先の東京オリンピックにおいては、森会長が女性蔑視問題で退任せざるを得ない状況の中で、まさに獅子奮迅の働きを見せるのである。柔道王国ニッポンの復活はみごとに達成できた。後輩の井上康生氏も頑張った。

 「柔道家というのは、いつでも自分と戦っている。もちろん相手を倒すことは一番重要ではあるが、自分の心と体をコントロールしてこそのアスリートなのだ。そしてまた、オリンピック精神は、時として政治の世界に翻弄されていくが、柔道家をはじめとするアスリートたちは、いつだって世界平和を願っている。そしてまた、自分のライバルたちも同じ道を進むスピリッツでつながれていると考えているのだ」(山下氏)

 なんという奥の深い言葉であることか。そして、この言葉がはるかかなたのウクライナに届け!と切に思ってしまう。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 代表取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2020年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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