電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第69回

どこから来て、どこに立っていて、どこに向かっていくのか


~来たるべき未来の夢に向かって戦う自分自身こそが宝物~

2014/1/10

年の初めに何ごとかを祈る人達の胸の中は?(京都の小さな社)
年の初めに何ごとかを祈る人達の胸の中は?(京都の小さな社)
 「君たちは一体どこに向かっているんだい」
 京都に向かう車中で、高校一年生であった筆者は見知らぬ男にこう声をかけられた。親しくしていた友人のIと東海道線普通列車に揺られ、平塚を過ぎたところでのことであった。ところで、今の人には想像もつかないだろうが、40年以上も前には普通電車の直通で京都まで行けたのだ。おまけにその男はタバコをぷかぷかとボックス席でふかしていたのだから、時代の流れはおそろしい。

 この男の正体は上智大学の学生であり、実に明るく気さくで、筆者たちにみかんとお茶まで買ってくれた。「京都まで行く」と答えると、「長旅だな。10時間はかかるだろう」とため息をつき、その男は三島駅で下車した。ちなみに同行した友人のIは朝日新聞に進み、首相番記者を務めるなどの活躍を見せ、現在はグループの印刷カンパニーの社長を務めている。

 「君たちは一体どこに向かっているんだい」。
 この同じ言葉をもう一度聞いたのは高校二年生の時であり、横浜・石川町の路上であった。70年安保を迎えて騒然としていた頃であり、ヘルメット姿の全共闘の学生が闊歩していた時代であった。筆者は土曜日の午後に石川町でアイスクリームをいやらしくなめながら、フェリス女学院のお姉ちゃんを冷やかしに行こうと思っていた時に突然、この言葉を全共闘の学生に投げつけられたのだ。そして「このままでいいのか。君たちはどこから来て、どこに立っているのか、考えたことはあるのか」と問い詰められたが、「そんな難しいことはわからにゃい」とヘラヘラ笑いながら言ったところ、見下げ果てた奴だという眼をしてその学生は去っていってしまった。

 「どこから来て、どこに立っていて、どこに向かっていくのか」――こうした哲学的な論争を日常的に交わすことは本当に少なくなってきた。筆者がまだ大学生であった頃には名曲喫茶というものがあり、チャイコフスキーかモーツァルトを聞きながら、ニーチェだのサルトルだの、ボーヴォワールだのを引き合いに出してコーヒー一杯で3時間も議論している学生が多くいた。いや、学生ばかりではない。サラリーマンやOLだってかなり難しいことを話していた。「人生論」が日常性の中にあったのだ。

 そして時代は移り、高度経済成長を経てバブル期へと突入したとたんに、こうした真面目な議論は街角や酒場から姿を消していった。80年代も後半に入れば、たまに芯のある学生が居酒屋で「もっと政治のこととか技術の未来のこととか、まともな話をしようよ」と言ったとたんに座はしらけて、その学生は村八分にされてしまった。そうして、まるでピンキャバのような女子大生の手を握りながら、学生たちは「なに、マジやってんだよ」と大笑いするのであった。バブルが崩壊し、日本は20年不況へと突入するが、それでも真剣な議論はそこらの市井に戻ってきたとは、とても思えない。「どうせこんな時代だから考えたってしょうがないじゃん」とため息をついて酒をあおる人は増えたけれども、体を震わすほどのディベート(論争)にはあまり出会うことがない。

 そして、何はともあれ2014年の幕明けである。どんな人でも今年はどうなる、そしてまたどんな時代がやってくるのかと考えるのが年の初めである。「消費税も導入されるが、景気の腰折れは短くてすみそうだ」「年末には1ドル=120円、株価2万円突破もあるぜい」「今年こそ、どんなに軽蔑されてもいいから松田聖子のコンサートに行くんだ」「追い詰められたニッポン半導体はいつドン底を脱け出すのか」――様々な想いが、様々な人たちの胸をよぎるのが、この年の初めなのだ。

 いつも眼の前のことばかりで、時間の流れ、つまりは越し方行く末を考えないのは世の人の常なのだ。そして時代の空気を読めず、バカなことを話題にする輩も多い。筆者も大学生のころ、仲間たちがケインズ経済の功罪について論じている時に「婚前性交は是か非か」という議論をふっかけ完全に無視されたことがある。

 未来のことに思いを馳せるのはいい。しかして、まずは自分もしくは時代はどこから来て、今どこに立っているのかを深く考えてみることも必要なのだ。来たるべき未来に夢があるのではなく、その未来に向かって戦っている自分自身こそが宝物、という考え方もある。戦い苦しむ自分を見ている自分自身がいとおしくて泣きじゃくる、というヤツもかなり知っている。そしてまた、時間の向こうに置いて来た過去の出来事こそすべて、という人生もある。

 1947年12月23日に誕生したトランジスタという小さな石は、「半導体の時代」を作り、「マイクロエレクトロニクス文化」を日常のものにしていった。それでは半導体はこれからどのような未来社会と文化を創り出していくのか。もう一度、燗酒を温めて、もちを焼いて考えてみることにしよう。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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