半導体をはじめとした電子デバイスの新たなアプリケーションとして、AI PCへの期待値が高まっている。AI PCとは、NPU(Neural network Processing Unit)というAIの推論処理を高速化するために設計されたプロセッサーを搭載し、AI処理を高速化できるPCを指す。CPUやGPUだけでなく、NPUを使用してAIを処理することで、従来はクラウド上で行っていたAI処理をローカルで行い、タスクの実行を高速化ならびに効率化する。また、クラウドを使用せずにAI処理を行うため、プライバシーが保護され、セキュリティーを高めることができる。
そしてAI PC市場の先陣を切るかたちで、マイクロソフトがAIを活用した新世代Windows PC「Copilot+ PC」(コパイロットプラス ピーシー)を2024年5月に発表した。マイクロソフトは、Copilot+ PCについて「これまでで最も高速でインテリジェントな Windows PC」と評しており、「Recall」(リコール)と呼ばれる機能によって、PCで見たものを簡単に見つけて記憶できるほか、「Cocreator」(コクリエイター)という機能を使用することで、デバイス上でほぼリアルタイムでAI画像を生成し、編集もできる。また、40種以上の言語から英語に音声を翻訳するライブキャプション機能なども備えており、マイクロソフトのほか、Acer、ASUS、Dell、HP、Lenovo、サムスンなどがCopilot+ PCを発表し、「(PC普及の起爆剤となった)Windows 95以来の革命となるかも」という声も聞こえてくるほど期待が高い。
初期モデルはクアルコム製品のみ搭載
そしてこのCopilot+ PCは、中核となるプロセッサーの市場にも変革をもたらす可能性が出てきている。従来のPC用プロセッサーは、インテルやAMDが提供するx86プロセッサーが主流である。しかし、Copilot+ PCの初期モデルには、クアルコムが提供するArmベースの「Snapdragon X Elite」(12コア)および「Snapdragon X Plus」(10コア)が搭載されている。
このうち、Snapdragon X Eliteは、23年10月に開催されたクアルコムの年次イベント「Snapdragon Summit 2023」で発表されたAI PC用プロセッサーで、130億を超えるパラメーターを持つ生成AIモデルをオンデバイスで実行できる。CPUには新たに開発した「Oryon」を搭載。Oryonにはクアルコムが21年に買収したNUVIAの技術が活用されており、競合他社と比べてCPU性能は最大2倍、消費電力は1/3を実現した。そしてSnapdragon X PlusはSnapdragon X Eliteのより汎用的なモデルとして24年4月に発表された。
Snapdragon XシリーズがAI PC市場で先行
前述した24年5月のCopilot+ PCに関する発表時、Copilot+ PCに対応するプロセッサーとしてSnapdragon X Plus と Snapdragon X Eliteのみが提示された。では、なぜSnapdragon X PlusとSnapdragon X Eliteのみだったのか。その大きな理由とみられるのが、マイクロソフトが定義するCopilot+ PCの要件にある。
PCプロセッサー市場は2強から3強に
マイクロソフトは、Copilot+ PCにおけるハードウエアの最小要件として、RAMのメーンメモリーが16GBのDDR5またはLPDDR5、ストレージに関しては256GB以上(SSDまたはUFS)といったものを定めている。そして、プロセッサーについては40TOPS(1秒間に浮動小数点数演算を40兆回実行)以上の処理性能を持つNPUを搭載することと定めており、この要件を満たすプロセッサー開発を早期に成功させたのがクアルコムだったというわけだ。
クアルコムはこれまでスマートフォン向けのプロセッサーで大きく事業を拡大してきたが、今後はAI PC向けも大きな柱になってくるとみられ、24年7~9月期からCopilot+ PCなどAI PC向けの需要が本格化する見込み。なお、クアルコムでは25年以降もAI PC向けの出荷は増えるとみており、同社は27年までにPCの少なくとも50%がAI対応になるとみて取り組みを加速させる考えだ。
もちろん、インテルやAMDもAI PC向けの取り組みを強化しており、インテルのAIプロセッサー「Lunar Lake」、AMDのAIプロセッサー「Ryzen AI 300」は、Copilot+ PCのハードウエア要件を満たしたようだ。しかし、Copilot+ PCが市場投入されたタイミングでは、認定を受けたのがクアルコムのSnapdragon Xシリーズだけだったことは事実であり、これまでPCのプロセッサー市場はインテルとAMDの2強であったが、それがAI PCでは3強の構図となる。
勢いを増しているクアルコムだが、不安要素もある。前述のように、Snapdragon X Eliteには、クアルコムが21年に買収したNUVIAの技術が活用されている。しかし、クアルコムの買収前にNUVIAへライセンス提供していたArmが、クアルコムがNUVIAの技術を活用するためにはArmの許可が必要であると主張し、NUVIAとArmのライセンス提携のもとで開発された設計をクアルコムは破棄すべきとして訴訟を起こしている。そして、クアルコムもArmの主張を不当とし反訴を提起している。この訴訟の着地点はまだ見えていないが、Armの主張が認められた場合、クアルコムにおけるAI PC向け製品の出荷に影響を及ぼしたり、クアルコムがArmに対して一定の金額を支払うといったことも予想され、クアルコムの新たな事業における懸念材料となるだろう。
電子デバイス産業新聞 副編集長 浮島 哲志